自我→防衛→自己犠牲

セラピストになって人々の生き様を見て、人生とは防衛の連続で成り立っているようなものだと思うようになったのです。

だから私のセッション中には、何度も繰り返し「自己防衛」という言葉が出てきます。しつこいくらいにその説明がなされます。

自我というのは防衛を必要とするもの。自我=防衛と表現しても間違ってはいないと思います。

そのくらい、私たちの日常は防衛に満ちているのです。そして悪いことに、防衛は必ず自己犠牲を発生させてしまうのです。

防衛に良い悪いはなく、自己犠牲こそが人生を悪化させる本当の原因となるのです。つまりは、「自我→防衛→自己犠牲」となり、例外はありません。

じゃあ防衛がなくなる瞬間、つまり無防備になっている時は自我はどうなっているのかというと、不活性状態になって成りを潜めているのです。

自我が消滅するのではなく、一時的に活動を停止していると思えばいいのです。だから無防備であったとしても、すぐに自我が活動を再開して防衛へと戻るのです。

毎日の生活のいたるところに防衛が起きるのです。きっと多くの人にとっては、自分が防衛しているとは思いもよらないはずです。

自分自身の防衛でも、他人の防衛でもリアルタイムにそれと気づくようになったら、私たちのマインドのカラクリがよく理解できるようになるでしょうね。

そのときには、少しずつ防衛から離れていくこともできるのです。その結果、生きづらい自我の人生からも解放されていくことになるのです。