意識的であることの重要性

先日の深夜、階下にいる93歳になる母親に呼ばれて、何事かと思って行ってみたら、国民学校に行っていたが卒業証書をもらってないので困っているとのこと。

落ち着いて聞いてみると、国民学校というのは遥か昔(80年以上前)に通っていた小学校のことかなと。

きっとベッドで寝て目が覚めて、夢と現実がグチャグチャになった状態で、不安だけが大きくクローズアップされたのだろうと。

私自身も未だにあるのですが、夢の中で大学の授業にあまり出ていなかったことで、中間、期末試験をどう乗り切ったらいいのかという不安と焦り。

夢から覚めてしばらくして、ああ今はもう学生ではなかったと思い出して一安心するのです。

母親は、短期記憶がないので小学生の頃の記憶ばかりがクローズアップされてしまい、現在の状況を思い出して安心することができずにいたのでしょう。

その時の母親の状態を見てもわかるのですが、夢の中であろうと夢から覚めていようと、完全に無意識の状態であると言うこと。

もしも母親が若い頃から意識的であることを心がけて生活してくれていたら、どうなっていただろうと思うのです。

きっと記憶力が欠如してしまったとしても、意識が目覚めた状態でいれば今この瞬間にいることができるので、問題はなかったのではないかと。

人生で一番大切なことは、何をしたかと言うことではなく、いかに意識的であったか、観照者としてあったかと言うことなのだと思いますね。