私たちのマインドには、意識的な部分と無意識の部分とがありますね。このことは、すでに多くの方にとって常識的な知識となっていると思われます。
まさか、未だに自分には無意識などというものはない、自分は自分の全部を意識的に把握している、そう信じている人はいないでしょうね。
ご存じかもしれませんが、私たちのマインドの意識的な部分は平均的に10%程度と言われています。本当はもっと少ないのかもしれません。
それ以外は、全く意識できない無意識の部分というわけです。無意識ということは、熟睡していたり、気絶しているようなものと思えばいいですね。
つまり、何の自覚もないし、周りで何が起こっていようが一切気づいていない状態であるということです。そうなると、意識的な部分と無意識の部分とは、ちょうど真反対のように感じるかもしれませんね。
けれども、実はそうではありません。同じ一つのモノの両極と考えればいいのです。つまり、意識的であるとは、注意深くあるということであり、無意識とはその注意を失くしてしまった状態というわけです。
したがって、非常に注意深くあることと全く注意がないことの中間もあるわけです。注意深さが欠けた状態というか、注意が散漫になっている状態ですね。
それは、意識的であることと無意識の間に位置するのです。それは、白と黒の間のグレーゾーンと思えばいいのです。私たちが、毎日の生活の中でしっかり意識的に瞬間瞬間を生きていなければ、そのグレーゾーンにいることになるのです。
それは熟睡しているのとは違っているものの、充分に気づいていない状態で生を営んでいるということです。ウトウトと浅い居眠りをしつつ、生きているようなものなのです。
この状態のままでは、あと何千年生きたところで何一つ変わることはありません。意識的であること、つまりそれは注意深く見ていること、これができれば身体との同化が外れ、自分の本質に気づくようになるのです。
イメージとしては、こんな感じかもしれません。あなたが広々とした気持ちのいい草原に一人立っていて、周りの静けさに注意深く耳を傾けるのです。
きっとしばらくすると、あなたという身体を持った人物は曖昧になり、周囲の静寂さに気づいている、その気づきそのものしか残らなくなるときがやってきます。あなたとは、その気づき以外のなにものでもないのですね。