自己否定感

人は誰でもある程度は自分を否定的に思う心の部分を持っています。それは自己嫌悪感と言ってもいいし、オーバーに言えば罪悪感のようにも表現できるかもしれません。

いずれにしても、そうした自分に対する駄目出しの気持ちというのを持っていない人はいないでしょう。そのくらい、私たちは否定的な思いというものを持っています。

それでも、元気よく人生を生き抜いているのは、それ以外にも自分はそこそこいいんじゃないの?という自己肯定感も同時にあるからなのです。

ですから、自己否定感があまりに強くなってしまうと、自己肯定することが難しくなってしまって、両者のバランスが取れなくなって、自己否定ばかりが目立ってしまうことになるのです。

そうなると、人生は辛く苦しい惨めなものになってしまいます。なぜなら、一番駄目な奴が他でもないこの自分なのですから。

そして本人としては、その自己否定が正当なものであるとの強い思いを持ってしまっているのも事実です。なぜそんなことになってしまうのか。

それは、一度自分を駄目だと思うと、そんなはずはないという気持ちと、駄目なことを証明しようとする気持ちの二つに心が分裂してしまうのです。

だから一方では駄目じゃない自分を作ろうとして必死に頑張るのですが、その一方ではほら駄目だったじゃない、という結果を作ることになってしまうのです。

これは本人にとっては挫折の連続になってしまい、益々やっぱり自分は駄目な奴だったという思い込みが強まることになるのです。

しかし待ってください、いいですか。まず初めになぜ自分のことを駄目な奴だと思ってしまったのか。そこを解明しなければ何も正しいとは言えないと気づいて欲しいのです。

セラピストの目から見ると、とても幼いころにどうしたわけか、期待しているような親からの愛を感じることができない状態が続くと、自分の気持ちを納得させなければならなくなります。

そのために、幼い子供は自分が駄目だから、愛情を受けることができないのだというように勝手な理屈を作って自分を駄目出しし出すのです。

これがすべての苦悩の始まりといってもいいかもしれません。それから後は、先ほど書いた通りにどんどん、自己否定感を確かなものにするようにと、人生が進んで行く事になってしまうのです。

今日お伝えしたかったことは、どんな理由があるにせよ、今感じている自己否定感とは幼い頃の愛されることができないということから生じたものだと理解して欲しいのです。

そのことを本当に分かれば、長年馴染んできた自己否定感がまったく筋の通らない理由からきたものだと分かるはずです。

そうしたら、そんな自己否定感などくそ食らえと思って欲しいのです。誰も駄目な人などこの世界にはいないのですから。

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