昨日のつづきです。
被害者の立場でいることや、被害者に加担して正当に加害者を攻撃できる立場というのは、どちらも訴え続けることができるというメリットなわけです。
昔、お笑いのダチョウ倶楽部の決まり文句で、「訴えてやる!」というのがありました。こうした言葉をお笑いとして笑って済ませられると問題はありません。
ところが、アメリカの訴訟社会のようにすぐに訴えを起こすようなことがまかり通ってしまう世の中というのは病んでいるとしか言いようがありません。
しかし冷静に考えて、相手に文句を言ったり訴えたりすることがどうしてメリットになるのでしょうか?その答えを見つけるには、人生の幼い頃に目を向ける必要があります。
人は誰でも加害者になれば、相手から否定的な目で見られ、嫌われ、見捨てられてしまうという思いを持っています。
そのために、その真逆な立場を手に入れて安心しようとするのです。被害者でいれば、そのために見捨てられるという心配は通常しなくてもいいわけです。
これは見捨てられる恐怖を持っている心にとっては最大のメリットであるといってもいいかもしれません。
ですから、私達は無意識的に自分の周りの人に罪があると思いたい心を持っているのです。罪深い人は責められて当然ですし、その相手から被害を被った自分は絶対に見捨てられないですむからです。
幼いころのこうした思いが大人になってもずっと続いてしまうと、いつまでも被害者でいたいと思ってしまうのです。
勿論、被害者である限り本当の幸せなど到底手に入れられるはずもありません。自分の心の中を見つめて、人に文句を言いたいと思っている意識があるならそれが被害者のメリットを求めている意識です。
人生をより幸せなものにしたいと望むのであれば、そのメリットを求める気持ちをしっかり受け止めてあげることで、そのパワーから開放されるようになって幸せを妨害していた被害者の人生からも開放されることになります。