身体の心地よさと心の気持ちよさがあるとき、どちらが自分にとってより大事でいつも気にしていることだったのか、よくわかってきたように思います。
それは以前から言ってもいることなのですが、身体志向の生き方をずっとしてきたということです。身体の具合が悪いと少しも幸せには感じないし、人生がうまくいっているとも思えないで来たのです。
そして自覚のないうちに、身体を苦しめる自分を裁いてきたのだと思います。身体が具合悪くなると、それを何とかしようとばかり思ってきたのでしょうね。
二年ほど前に、瞑想中に感謝の猛烈な嵐の中に入り込んでいたときに、実は首から肩にかけて鈍く重苦しい痛みに苛まれていたのです。
その身体の痛みを感じつつも、今思うと歓喜の中にいることができたということをもう一度しっかり思い出す必要があると思い立ちました。
身体の苦しみを許すことにすること。そして、身体の苦しみに焦点を置くことのないようにすればいいだけのことなのだと分かってきました。
心の平安や気持ちのいい状態、そして愛の状態よりも本当に自分が望んでいることはないとはっきり分かれば簡単なことなのです。
少しずつ、身体の具合が悪くてもそれに翻弄されないでいられる心の領域というものがあることが分かってきたのです。
まだまだその部分はとても小さくて、ちょっとした身体の苦痛に忘れさせられてしまうのですが、それでも常にあるということは分かってきました。
身体を健康にすることで幸せになるのではなくて、幸せになっていく過程において自然と身体が健康になっていくということです。
いつもこのことを忘れないようにすることにしようと思います。そうやって練習を重ねていくことでいつも心の中心に意識を持っていくことができるし、身体に翻弄されない毎日を送ることができるようになるはずなのです。