心の中の愛を探す

以前どこかに書いたことがあるのですが、最初に奇跡のコースを読み始めたときに、いきなり大きな壁にぶち当たりました。

それは、あなたが何を真実だと思っていようが、それとは違うところに本当の真実があって、それは信じるかどうかということを超越しているというものでした。

「私が主張していることだけが正しい」と言っているどこかの宗教の教祖様のような口ぶりのように聞こえて、それにはとても反発心を感じました。

興味のある本なのにここで頓挫させてしまうのは勿体無いとは思うものの、自分を偽って読み進めることは自分にはできないことも知っていました。

それでも、自分を越えたところに…というのは何となく分かる気もしました。それは日頃から、自分に分かっているレベルなど、あらゆることの中のほんの塵のようなレベルでしかないという気がしていたからです。

そしてもう一つ、その時にとても大きな助っ人が現れました。それはずっと昔から自分の心の中にあった、ある大きなずっしりとした部分なのです。

いつもは忘れられているのですが、その壁を乗り越えられないと困っていたときに、それを思い出したのです。もしかしたら、これが愛なのかもしれないとも感じました。

確証はないのですが、ずっと以前から心の中にあるのは知っていたのに、どういうわけかそれを使わないように使わないように注意して生きてきたという思いがありました。

この部分は自分の思考によって何かを信じるということとは、かけ離れている感覚なのです。つまり、自分の信念を超越している部分とも言えるかもしれません。

自分はその部分を信じることにしました。それこそが、自分の信念や正しさを超越した真実に近いものかもしれないと考えて、奇跡のコースを読み続けることができたのです。

誰の心の中にもあるはずのこの微動だにしないどっしりとした平安な部分。私の心にはそんなものはないと思っている人は、きっと気付いていないだけです。

お腹が痛くてトイレを探して必死になっているときに、穏やかな深い心のことを忘れてしまうのは仕方のないことですが、それと同じ事なのです。

この人生で何かに翻弄されてしまっている心の状態では、それの存在を感じることは難しくなってしまうのです。自分も本当に忘れて生きて来たという実感があります。

今でなくても、ちょっとした心のゆとりができたときにでも、心の中にその部分を感じてみてはいかがでしょうか?

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