私たちは誰一人として自分と同じ人間はいないと知っています。それは、自分はユニークな個人であるからですね。他人とは違うということが間違いなく言えるのです。
違うということは、比較対照となるものであって、それは、必ず優劣などをつける対象となることは疑う余地がありません。
ということは、違いがあるということがそのまま平等ではないということを現しています。そうです、この世界においては人々は平等だなどとは決して言えないのです。
この世界はそもそも不平等に出来上がっているのです。みんなそれぞれ、外見や性別、生まれや育つ環境も違うわけですし、貧富の差もあります。
人を二人連れてくれば、互いに似ているということはあるでしょうけれど、厳密に調べれば必ず何かが違うのです。それが現実です。
それをうやむやにしておいて、人間は本質的には平等なのだなどと言う必要はないと思うのです。それよりは、不平等であるということをはっきりと認めることです。
いいこともあれば、悪いこともある。優れているところもあれば、劣っているところもあるから、トータルでは平等なのだなどと言っても何だか嘘っぽいとは思いませんか?
私はそうしたきれい事にしてしまおうとするやり方はあまり好みではありません。それよりも大切なことは、不平等であることを積極的に受け入れることです。
どんなに理不尽に思えたとしても、そうした不平等さを認めることさえできたら、その人の心は穏やかな状態になることができるのです。
要は受け入れることができさえすれば、もう不平等さなど何でもなくなってしまうということです。そして、実は我々の本当の自己について見ることができたら、それは平等でも不平等でもないということにも気づけるのです。
なぜなら、それはこの宇宙でたった一つのユニークな自己であると分かるからです。これはまったく次元が違う話題になってしまいますが、それこそ不平等さなど吹っ飛ばしてしまうことになります。
不平等万歳で行きましょう!