エゴの改造

このブログを始めてから丸二年たったなあと思って、二年前の今日の日付の内容を確認したら、「理不尽なこと」という題名でした。

今読み返してみると、ある種のボランティア活動を自主的に始めてしばらく経ったころで、その内容というのが結構な理不尽さを経験することになったので、そのことについて書いていました。

そのボランティア活動というのは、こちらの誠意でやらせてもらっていることなのですが、相手の方からはボロクソに言われてしまうような状況でした。

それが自分としてはとても理不尽な気がしていたのですが、それでも自分を少しでも愛に目覚めさせたいという熱意があって続けていたんですね。

それがつい数日前から、急にその意欲がなくなってしまって、事実上終わってしまった感じになっています。なぜこうなったのかと今考えてみていたのですが…。

自分が考えるに、最近気づいたこととして、この肉体人格(エゴ)の自分を改造して愛に近づけていくという真面目な努力を続けて言っても、所詮エゴはエゴのままだと気づいたからです。

そんなことを断定的に言ってしまったらそれこそ身も蓋もないと言われてしまいそうですが、でもそういうことなんだと分かってしまったのです。

勿論、少しずつ怒りを手放して、感情の起伏を穏やかにしていくことは意味のあることですし、理不尽さに対する抵抗力を着けていくことは人生を生きやすいものに変えてくれるはずです。

しかし、とても逆説的なことなのですが、肉体人格(エゴ)の私を変える一番いい方法とは、私には決してそれをすることができないと認めることだと気づいてしまったのです。

この気づきはとても自分を楽にしてくれたようです。確かに、エゴは自分がいい方向に変化しているという感触をプレゼントしてくれるのですが、それは本質的なものではないのです。

自分が身体だと思っている意識を本質的に変えるということはきっと不可能なことなのでしょう。それよりも、本当の自分に気づいていくことによって大きな変化を体験することになるのだと思います。