平安の輪

幼い頃に家の裏で友達と三輪車に乗って遊んでいるときに、その三輪車ごと石神井川にどぼーんと落下してしまったことがありました。

汚水が垂れ流されている川の水の中に投げ込まれたようになって、わけも分からず水中でもんどりうっているときに誰かの手によって救い出されました。

そのときに偶然にも川の中に入って何かの仕事をしていた労働者の方がいたのですね。その人がいなければ確実に死んでいたところでした。

そのときの記憶がかすかに残っているのですが、川の水の中で自分がどうなっているのかも分からない時というのは、決して苦しいという自覚がないということです。

きっとそのまま助けてもらえなければ、幼い自分は苦しむこともなく溺れて死んでいたということです。その経験が少し役に立っています。

というのも、わけが分からずに死んでいくときには本人は苦しむことがないと感じるからです。特に、生というものに執着のない幼い子供はなお更苦しまないということです。

生きるということに執着を持つようになった大人であるほど、そして自分の状況を正確に把握できる時ほど、災害のときに苦しむということです。

予期せずにあっという間に津波に飲み込まれて亡くなった人たちの心は安らかかもしれません。かえって、残された人々の方こそ一番心を痛めているに違いないと思うのです。

話し変わって、昨日の午前中、バスルームの電球が切れてしまったので家電量販店に買いに行ったところ、レジでびっくりするほどの行列ができていました。

そしてほとんどの人が、大量に電池などを手に持っているのを見て、これが必要以上の買占めというものだなと分かったのです。

あれではすぐに売切れてしまうのが目に見えています。何度もこのブログでお伝えしているように、一番大切なことは心の平安を保つということです。

未来を不安の心で見るのではなく、今、落ち着いた心で過ごすことこそがこの日本に最も必要なことだと思うのです。

何が目の前で繰り広げられていると感じようとも、心の軸を失うことのないようにする練習の時だと思って、それをできる限り実践することです。

平安な心は必ず、自分の心から拡大して多くの人の心へと伝わるものです。みんなで、平安の輪を繋げられるようにしましょう。