みんなで一緒に

私たちの一般的な満足感というのは、いい悪いは別にして実は人との比較の上に成り立っているのです。

これは勿論本質的なことではありませんが、みんなと同じレベルであればそこそこの満足感を得られるというのは事実です。

例えば、今原発の事故によって節電を呼びかけられていますが、原発を廃炉にしてしまったら電力不足による不便さに誰もが耐えられなくなるはずだという憶測がありますね。

確かに今まで自由に使っていた電気を思うようには使えなくなったとしたら、最初は不便を感じるかもしれません。ですが、大切なことはその時に自分だけではなくみんなが一緒であれば大丈夫ということです。

江戸時代にまで遡って、薄暗い長屋でひっそりと生活していた時に、そのことに対して不満があったかというとそんなことはないはずです。

それは誰もがそういう生活をしていたからです。でももし、自分だけがそんな生活になったとしたら、それは不満が生じるのは当然のことです。

つまり、人との比較の上で多くの人の平均値と同じレベルであれば、人は不満を感じないものなのです。

私が子供のころには、ごみの分別などというものは全くありませんでした。いつの頃からかリサイクルということが流行りだして、そのまま気軽にゴミを捨てることができなくなりました。

その時には何て不便な時代になったものなんだろうと本気で嫌な気分になっていたのですが、しばらくするとそれが慣れてきて普通のことになってしまいました。

その時も、自分だけでなく誰もが分別しているのだからという比較の元に、不満を感じなくなっていったのだろうと思うのです。

そう考えると、意外に満足感というのは絶対的なものではないのだということが分かりますね。みんなで一緒にという前提であれば、人は大抵のことを乗り越えていくことができるということです。

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