シナリオのなせる業

なぜ危険きわまりない原発がここまで来てしまったのか、そして今もってその方向を変えることができないのか、その理由が知りたくて調べていたのですが、調べれば調べるほど絶望することになってしまいました。

ものすごく巨大なタンカーが一度動いたら、そうそう簡単には方向転換もできないし、ましては止めるとなるとそう簡単にはいかないというのと同じかもしれません。

それにしても、いろいろなことが分かっていくうちに、事実は小説より奇なりというように、本当にドラマでも見ているような気がしてきます。

こんなことが現実に起こっていたなんて、何かの力が底辺で操っているとしか思えないのです。ああ、これもシナリオなんだなと。

いつも自分で、この世界で起きること、自分の人生で起きることはすべて台本があって、その通りに動いているだけなんだと言ってきました。

従って、どんな事実を知ってもそういうことになっていたのだからとして、受け入れようという心の準備はできていたはずなのです。

勿論そうなのですが、でも実際に分かってみると、う~んとうならざるを得ない感じがしてしまうのです。でも、逆にこれは人間技ではないなという確信もあります。

理性ではどう考えてもこんな流れになるはずはあり得ないと思うのですが、それでも現実にここまで来てしまったわけです。

仮に今すぐにすべての原発を止めたとしても、今までずっと作り続けてきてしまった放射性廃棄物については、もう処理するまともな方策がないようです。

今生きている誰にも100万年先まで、そのおもりができると自信を持って言えるような人などいません。100年先だって怪しいです。

改めて、すべてを天に任せるという気持ちになるしかありませんね。それでも、人としてできることは是非やっていきたいとも思っています。

誰を責めることも潔しとせず、かといってことの推移をただ見守るというだけでもなく、できるだけの行動をして、その上ですべてを受容するということ。

もうこれしか自分には残されてないなと感じる今日この頃です。感傷的になることも悪いことではないですが、どんなことになっても全部明け渡す気持ちを持ち続けたいと思います。

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