期待に応えたい!

誰でも心の底では人の期待に応えたいと強く望んでいます。期待に応えられる自分でありたいと願っているわけです。

それは幼い子供でもまったく同じなのです。というより、幼い子供ほどその気持ちが強いと言った方が当たっているかもしれません。

特に幼児は両親や周りの大人たちの寵愛を一身に受けて育っていくのですが、そのときに周囲から強烈な期待のエネルギーを感じてしまうのです。

それは幼児にしてはとても荷の重いものに感じるはずです。期待の根っこは愛なのですが、それが大人たちにとっての願望や欲望と結びつくと、重くのしかかる期待へと変化してしまいます。

それはまるで津波のように子供の心へと押し寄せてきます。子供は正直、とてもそんな期待には応えることはできないと感じます。

そうすると、そうした自分を責めてしまう心が成長することになります。それが、自己否定感へと発展していくことになるのです。

周りからの期待のエネルギーが強ければ強いほど、そしてそれを本人が敏感に感じる体質であればあるほど、期待に応えられないという罪の意識も大きくなってしまいます。

それがあまりにも苦しすぎると、子供の心の中にそれを感じないようにする防衛機構が作られます。それは、感覚を麻痺させて分からなくさせるというやり方をとります。

そしてまだ先があるのです。自分のままでは期待に応えられないと思えば思うほど、期待に応えようと頑張る意識も成長するのです。

それは社会的に見れば立派な大人へと成長させるのに役立つのですが、その原動力は期待に応えられない自分を応えられるようにするという意志なので、その他のことが犠牲になってしまいます。

つまり、頑張れば頑張るほど自己犠牲を積むことになり、それは必ず怒りへと変換されます。また、ある程度成長すると、相手の期待に反することになりそうな、いかなる言動もストップをかける必要も出てきます。

それは、先ほどの感覚を麻痺させるメカニズムが処理することになります。それは結局、自己表現を抑えるということにつながります。

頭を真っ白にさせたり、何かを言おうとしたときに喉をつまらせて言葉が出ないようにしたりします。こうしたことをずっと心の中で循環させ続けることになります。

もしも思い当たることがあると感じる場合には、次の三つの意識をよく見つめて理解し、受け止めてあげることです。

1.期待に応えたい意識
2.期待に応えられないと思っている意識→駄目な自分
3.期待に反することを止める意識→感覚麻痺、頭を真っ白、喉を詰まらす

そしてそれらの意識は、自分そのものではなくて、受け止めてあげるべき対象であるということがはっきり分かるようになれば、そこから脱出することができるようになるはずです。