行為者ではない

ここ数年、真実とは何かということばかりにずっと関心を向ける生活を続けてきたのですが、探求すればするほど、それは自分が今まで正しいと思っていたこととはまるで正反対でした。

しかも、一般常識的見地からすると、なんたる奇想天外なことか。それはもう、本当にびっくりすることばかりでした。

例えば、自分が宇宙の中にいるのではなくて、宇宙が自分の中にあるということ。あるいは、時空こそが幻想であるといったことです。

それは、真実とは決して変化することがないということに行き着きます。そして、起きることは起きる、つまりすべては大いなるシナリオ通りに現象化するということ。

そこには、私たちが普通に考える自由意志というものが入り込む余地などないということです。自分の人生は自分の決意によって決められると思っているのは、間違いだったと知ることになりました。

確かに自分が何らかの行為をしているようにも見えるのですが、それは物理的にそう見えるだけだということです。

つまり、この世界には真の行為者というものは一人もいないということ。これを受け入れるのは、至難の業かもしれませんね。

ですが、もしもそれを腹の底から認めることができたとしたら、どんな人生が待っていると思いますか?それにはメリットどデメリットを考えて見ればいいのです。

まず、デメリットからですが、手柄というものが一切なくなってしまうということ。自分の能力と頑張り、そして努力によって何を成し遂げたとしても、その成果を自分のものとすることができないということ。

なぜなら、そのことに対する行為者ではないからです。いかなる結果を出すことができたとしても、それを自分の功績とすることができないのです。

その代わりにメリットもあります。それは、帳消しにしてしまいたいような失敗や罪深い行為などもすべて、行為者の立場から開放されるということです。

罪悪感や自己嫌悪、自己否定感などから開放されます。このメリットは計り知れないくらいに、人生を軽やかで平安なものにしてくれるでしょう。

そして、更なるメリットは、責任や義務、あるいは重荷などからも解放されるはずです。今日から、あなたは真の行為者ではないということをいつも意識してみて下さい。

勿論このことは、自分だけではなくて周りのすべての人にも当てはまることですので、誰かのことを責める必要もなくなるという特典つきです。