本質的な孤独

人によっては、深い孤独感に苛まれている場合があります。孤独感はひどくなると恐怖と同じくらいに苦悩の元となってしまいます。

そうした孤独感というのは、子供の頃は別として、その原因は当人の心のあり方にあるのです。多くの場合には、本人が自分を守るために作ってしまった頑丈な城壁によって、孤独になってしまうのです。

その高い城壁を自分の周囲に作って、他人から自分を守ろうとするわけです。その目的は、ある程度は達成することができても、そのために今度は孤独感を味わうことになってしまうのです。

何から自分を守ろうとしているかといえば、自分が認めたくない部分、本人にとって都合の悪い部分を他人の目から隠そうとしているということ。

したがって、こうした場合には通常の心の癒しをしていくことによって、自己否定感や罪悪感を小さくしていき、どんな自分でも認めてあげられるようになれば、自己防衛の力が緩んできます。

その結果、高く立派だった城壁が、無用のものとなっていき、次第に周囲との距離が縮まっていくことで孤独感から開放されていくようになるのです。

と、ここまではごく一般的な癒しのお話しなのですが、実は、その先にもっともっと深い、本質的な孤独があるのです。それは誰もが同じように持っているということに気づいていくことになります。

それは、個人として生きている限りは、どうしても避けては通れないものとして、受け入れるしか解決することはできないものなのです。

その本質的な孤独を抑圧して、みんなで一緒だから孤独じゃないんだと思い込もうとしてしまうと、最も大切なことに気づくことができなくなってしまうのです。

それは、本当の自分とは誰かということです。それを見つめていくときには、その孤独を感じることになるはずです。自分が誰かを見ることができるのは、自分だけだからです。

最終的な気づきがやってきたときには、今度は孤独というものは幻想だったということに気づくことになるのだと思います。