知覚の停止

最近、一般的なセラピーに関連したことをあまり書かなくなったなあと思って、たまには書いて見ようかとも思うのですが、そうするとなかなか筆が進まなくて…。

それはきっと、自分が日頃意識している事柄の方に目が向いてしまっているからなのでしょうね。本当はいくらでもネタはあるはずなのですが。

というわけで、今日もことによるとちょっと理解しづらいような内容になってしまうかもしれませんが、とても大切なことだと思うことを書いてみます。

この「私」を存続させているのは、我々がそれに頼りきってしまっている知覚であることは疑いようのない事実ですね。

もしも今この瞬間に知覚が途絶えてしまったらどうなってしまうのか、想像することすらできません。ところが一つだけ、その体験を誰でもがしています。

それは、眠っているときです。夢を見ることもなく、熟睡しているときというのは、完全に知覚が停止状態になっています。だからこそ、その間は、「私」も不在となるのです。

知覚することが、知覚する人と知覚されるものを同時に生み出すのです。このことは、意外と理解されていません。

知覚することがない状態においては、知覚する人もされるものもどちらも存在することができないということです。

だからこそ、熟睡している間は、知覚されるものであるこの世界全体も不在となっているということです。このことは、よくよく理解しておく必要があります。

この「私」も、この世界も、知覚するという行為なしには存在しないということです。ということは、この「私」も、この世界も本当には実在するものではないということになります。

つまり、それが幻想だということです。実在とは、永遠に在り続けるものでなければならないからです。来ては去っていくようなものは、それが何であれ時間の束縛のなかにあるものです。

知覚を完全に停止した状態においても、純粋な意識としての気づきだけが残るということを体験することができたら、それこそが実在としての本当の自分であるということです。