何も分からない

昨日少しだけ瞑想しているときに、想念を止めるとてもいい方法を思いつきました。これが他の人にどれだけ効果があるのかは分かりませんが…。

それは、やや心が静まってきたときに、「分からない」という想念を作ってその中に没入するのです。そうすると、あっという間に心はもっと静まり返るのです。

これは頭で考えてやってみたというよりも、静寂に入っていくと、元々そんな感覚がやってくるのを逆利用したに過ぎません。

過去から追ってくる想念のほとんどが、「私には分かっている」という想いがベースになっているからなんですね。

私たちは人生を、何も分からないところからスタートさせました。分からないこと自体には、問題はないのですが、周囲から分かるようにならなければならないと教え込まれます。

それを信じたばっかりに、すべての苦悩が発生するようになったのですね。そこから、分からないままではいけないのだとの強い思い込みをすることになったのです。

そうして、努力をしつつ、分からなかったものを分かるようにしていくのです。私には、あなたの本当の気持ちが分かる、この世界で大切なことを知っている、そう信じ込むのです。

それが、次なる想念を生み出して、いつものストーリーを続けることになるのです。そこで、「何一つ分からない」ということを見つけるのです。

実際、今この瞬間だけを見つめていると、確かに何一つ分からないという状態がやってきます。それは、不安というよりも逆に肩の荷が降りるような、そんな感じすらします。

分からない、何一つ分からない、何も知らない、ただ在るだけ。こんな感じになると、とてもリラックスして、分からないことをそのまま認める状態になれるのです。

私たちが分かっていると信じているものは、すべて自分の心が作り出した幻想の中でのことなのですから、真理については本当は何も分かってなどいないのです。

そのことを素直に全面的に認めてしまうと、そこには何もない空虚な状態が見えてきます。それが、今であり、静寂である「それ」を見ていることなのかもしれません。