放心状態

一般的な表現として、たとえば長く付き合っていた彼氏にふられて放心状態になってしまったなどと言うことがありますね。

それは、この目の前にある現実の世界よりもショックを受けた事象に心が巻き込まれた状態のままになっているということを意味しています。

その過去の事象が感動的なことであれ、苦しいことであれ、いずれにしてもそこから心が離れなくなってしまっている状態を指します。

しかし、「放心」といっているのですから、つまり心を放つと書いているということは、本来読んで字のごとく解釈しなければならないはずです。

そこを忠実に捉えれば、放心状態とはあれこれと心を使わずに、心を解き放つ、あるいは心そのものから解き放たれた状態を意味するとも言えます。

その状態の人が、もしも目を見開いているとしても、それはどこかに焦点を当てているわけではなくて、虚空を見つめているような感じになるはずです。

20世紀の代表的な賢者と言われた、インドのラマナ・マハルシは何時間でも沈黙して、目は一点を見つめているようにしていても、何も見ていない状態だったそうです。

それはまさしく、放心している状態だったからですね。心をなくした状態になるためには、その心を生み出している「私」が不在にならなければなりません。

心を静かにして、その「私」を見つめていると、その見つめている「私」そのものを感じることができますが、それは主に言葉を使っている想念のようです。

それともう一つ、自分の場合に限定されるかもしれませんが、メロディを奏で続けようとする想念も脇に常にあることに気づきます。

言葉と音楽、これが一向に消える気配がありません。なかなか、しぶといですが、それ以外の想念は全く出なくなるので、ここを探求して行こうと思っています。