ストップボタンを押す その2

昨日の続きです。

単に苦悩を乗り越えても幸せにはなれない、それは苦悩と快楽の繰り返しというストーリーを続けることになってしまうというお話しをしました。

苦悩を乗り越えるのではなく、それも含めたストーリー全体を停止させることだけが、苦悩と快楽の繰り返しから逃れることになるのです。

そのためには、再生ボタンではなくて停止ボタンを押すのです。そうすれば、ストーリーが停止し、その瞬間に自分はそのストーリーの中の単なる登場人物ではなかったと気づくことになるのです。

ではストップボタンを押すとは、具体的にどうすればいいのでしょうか?それには、次から次へと浮かんでくる想念を停止させる必要があるのです。

あらゆる想念は、過去から現在の自分を追ってやってくるのです。そうして、その想念の中に含まれる快楽への欲望と苦悩への恐怖を見せ付けるのです。

そして、新たなストーリーの中へと自らをいざなうということです。想念を停止させることができれば、こうした過去からやってくる魔の手から逃れることができます。

想念を停止させるもっとも効果的な方法とは、その想念が発生する元をじっと見続けることです。想念そのものには目もくれず、ひたすらその源を調査するのです。

つまり、想念の大元である「私」を捕まえようとすることによって、そのことに意識が向けられるために、自然と想念が止まってくるのです。

そのときに、想念とは来ては去っていく幻のようなものだと分かるだけではなくて、その発生源である「私」も実在ではないと感じることができます。

そうやって、もっともっと「私」という想念のもっと奥まで注意を向け続けるのです。そこにこそ、決して変わらない何かを見いだすことができます。

「それ」はストーリーの登場人物とはまったく異なる次元の何かであり、そこは全くの静寂と無が支配している理解不能のどこかです。

そして、ひとたびその感覚を掴むことができたら、また再生ボタンが押されて、ストーリーが展開されだしたとしても、何かが変わるのです。

今までの苦悩は、種類の違う苦悩になります。苦悩がなくなるわけではないのですが、苦悩を安心して見ることができるようになるのです。

自分の呼吸よりももっと近いところに、「それ」は在り続けます。ただ、在るのです。