ただ「今」に佇む

私たちは、一日のうちに一体どれだけの数の想念が心の中から沸き起こってくるのでしょうか?心を静かに出来る人と、そうでない人とで大きな違いがあるかもしれません。

しかし、どちらにしても膨大な数であることは間違いないところですね。何も思い浮かべない状態でどれだけの間いられるものか、想像してみれば分かります。

もう無数の想念が立ち上がって、それらはとっかえひっかえやってきては去っていくのです。ただ通り過ぎる想念もあるし、巻き込まれていってしまう想念もあります。

想念はすべて過去がベースとなってやってきます。その内容が、たとえ未来にまつわることであったとしても、根っこは過去なのです。

例えば、ほとんど過去を持たない赤ちゃんの場合には、蛇を見てもそこから想念を作り出すことはできません。

ところが、少し成長すると、急に蛇を見ると怖がるようになってしまうのは、誰かが蛇を怖がる様子を見た体験を想起するからなのです。

だから、現在のことを見ているとしても、その反応は過去のことがベースとなっているのです。逆に言えば、記憶を持ってなければ想念は浮かんでこないはずです。

私たちは、体験したことの中で印象に残るものをピックアップして、特別に記憶の中へとしまい込むのです。すべての体験を蓄積するわけではありません。

そうやって、作られた記憶という想念を元にして、次から次へと新たな想念を生み出すことになるのです。それは、すべての想念の源である「私」という想念に意識を向けなくさせるためです。

しかし、過去から意識を離すようにして、ただ、「今」だけを感じるようにすると、そうした過去からやってくる想念のすべてを消し去ることができるのです。

だから、「今」は魔法のように、心を静かにすることが出来ます。「今」はいつだって、自分と一緒にいてくれるのですが、我々はそれを見ようともしないのですから、勿体無い話しですね。