この仕事を始めてすぐの頃、誤解されることを恐れずに言えば、今よりももっとヒーリングに打ち込んでいました。何とかして、不要なゴミのようなエネルギーを外して差し上げたいという一心だったと思います。
熱心にやっていると、何となくそうしたエネルギーを画像化できるようになった感じがするものです。あるとき、ヒーリング中にクライアントさんの身体の奥に、取ってあげたいエネルギーがあるのを見つけたのです。
どうしたものか迷ったあげく、力づくでそれを取り除こうとしてみたのですが、するとそれはその通りに外して捨てることができたのです。あるいは、できたと感じたのです。
これはいい!と思ったのも束の間、クライアントさんは無自覚のうちにそれを元通りにしまい込んでしまうのが分かったのです。
せっかく身体の奥の部分に(イメージで)手を突っ込んで、引き抜いたはずのエネルギーを、いとも簡単にしかも気づかぬうちに、復元してしまったのを見て、自分はいらぬお節介をしたんだなと理解しました。
ご本人にとっては、必要悪だったのですね。他人の眼からは、もう明らかにいらないモノだと映ったとしても、本人にとっては、まだそれを支えとして生きているということがあるのです。
私はごく初期の頃に、幸運にもそうした経験をすることができたので、それ以降ヒーリングで無理やり何かをしようとすることがなくなりました。
けれども、カウンセリングではそれに似たようなことを、今でもたまにしてしまうことがあります。そうすると、クライアントさんは、セッションに来れなくなったり、ひどく辛い状態になったりしてしまうのです。
明らかに逆効果だと分かるのですが、気づいたときには時すでに遅しということになってしまうのです。クライアントさんの苦しみに気づいている気になっているのですが、本当はご本人にしかその辛さは分からないということです。
そのときのご本人には、それがどんなに不要であるばかりか、害を及ぼすものであったとしても、気長に待つという姿勢がもっともっと必要だということです。
気長に待つ。そこそこできるようになったと思っていたのですが、まだまだですね。自分にとって、一番苦手なことなのかもしれません。