「生」があなたの中で生きている

私が感じている真理の一側面について書いてみます。何かの気づきのヒントにでもしていただけたらと思います。ただし、勿論言葉を使う限りは、あくまでも一つの方便であることを忘れないで下さい。

私たちは、夜寝入る時に、必ず明日の朝目が覚めたときには、昨日までの自分の人生の続きが始まると思っていますね。というより、当り前過ぎて、そんなことは考えたこともないかもしれません。

朝起きたら、別の誰かになっていたとか、同じ自分であっても過去に戻ってしまったり、、未来に飛ばされたりするなどということはないわけです。

けれども、なぜ目覚めたときには確実に、自分の人生が再開すると言えるのでしょうか?たとえば、魂というものがあって、それは人間の核のようなものだと考えてみて下さい。

あなたの魂と私の魂が突然入れ替わったとしても、どのようにしてそのことに気づけるのでしょうか?あなたという人物とは、単に思考と体験に基づく記憶の束で出来ているのです。

だから、私の魂があなたの中に入ったとしても、それまでのあなたの記憶や思考などのすべてを受け継ぐのであれば、その瞬間にその魂はあなたとして生きることができるわけです。

今仮に魂という言葉を使いましたが、「生」でも「存在」でも何でもいいのです。あなたの中に在る「生」は、あなたという人物を通してあなたの人生を生きているのです。

私の中に在る「生」についても、全く同じことが言えるわけです。それは、無数の海面上にある波とたった一つの大海原の関係のようなものです。

大海原は一つであり、それが「生」というわけです。ここで生きているのは、私たち一人ひとりではなくて、この「生」こそがあらゆるものの背後に在る正体なのです。

人間の場合に限って、思考によって「生」に気づかないようにしているのです。勿論、動物や植物も無意識の状態であるために、「生」には気づくことができません。

私たちの思考は、私が歩いている、私が考えている、私が生きている、というように解釈してしまうため、「私」こそが人生の中心なのだと感じてしまうのです。

けれども、真実は、「生」が神羅万象を現象化させているに過ぎません。「生」にとっては、道端の石ころとあなたの人生には、何の違いもありません。

「生」にとっては、あなたは一つの現象に過ぎないのです。だから、もっと気楽に毎日を過ごせばいいのです。何が起きても、「ただ、それだけ」と済ませましょう!

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