一般論ですが、人は何か目標になるものを持っていた方がいいと言いますね。その目標を達成するために、頑張ることができるからです。
戦前、そして戦時中は立派な軍人になって、祖国のために闘うということがありました。そうなると、男性はかなりの低年齢から士官学校を目指して頑張るようになったりしたのです。
誰もが認めてくれるような立派な目標があれば、人はぶれずに頑張ることができるということのいい例ですね。でも、今の若い人はそういった国を挙げて目指すような目標がないので、可哀想だという人もいます。
私自身は若い頃から、人生に目標となるものを持ったことが一度もありません。何となく学校を受験して、周りの誰もが働く年齢になったから、自分も就職するというように、ごく普通に生きようとした結果そうなったのです。
自分独自の目標など、一つもありませんでした。なんたって、幼い頃の目標が「楽隠居」だったのですから。もうすでに、そのころから社会を恐れて敬遠していたのでしょうね。
未来に対する明るい希望など、何も持ってはいませんでした。だからといって、暗く沈んだような人生を生きてきたわけでもないのですが…。
ただ、何かを成し遂げるということとは無縁の毎日だったことは確かです。そして今では、マインドの中をいくら探し回っても、やはり目標はないという結論が出てしまっています。
それはもしかしたら、自分にとってはある種の幸運だったのかもしれないと思うのです。外側にやることが何もないのですから。そうなると、「する人」から「在る人」への移行が起こりやすいと思えるからです。
私もまだまだ、「する人」の部分を持ち歩いていますが、少しずつですが、「在る人」へと変わりつつある自分に気づくこともできるのです。
このことは仏陀がずっと言い続けてきたことらしいですよ。あなたの本質は、することではなく、ただ在ることだとね。