本当に「知る」とは…

私たちのマインド(エゴ)は、ものごとの知識を得ることによって、いくばくかの安心を手にすることができるのです。逆に知らないという状況は、不安を覚えることになるのですね。

だから、内面に大きな不安を抱えている人は、それを何とかして安心に変える一つの手段として、知識というものを利用しようとするのです。

ところで、私たちの知識というものが、本当の意味で「知る」ということとは大いにかけ離れているということはご存じでしょうか?

たとえば、あなたが知らない花を私があなたに見せたとすると、あなたは「これなんていう花?」と聞いてくるでしょうね。特にその花が綺麗で興味を持てば…。

私が花の名前を「○○という花ですよ!」と伝えたら、あなたはもうすでに知らない花ではなくなったと感じることでしょう。つまり、名前を知っているということだけで、知らない花ではなくなってしまうのです。

どれだけ名前を覚えたとしても、それは単にその花に名札をつけたことにしかならないのです。この自然界には、どんな名札もついているわけではありません。

後々、あなたがその花に興味を持って、図鑑などで調べてみるかもしれません。○○科といった分類のことや、そこに書いてある詳細な説明をこまかに覚えたら、それで知ったことになるでしょうか?

それもただの知識に過ぎないのです。そんなことで、その花の存在そのものを知ることにはまったくならないのは当然のことですね。

本当に「知る」とは、マインドの範疇ではなくて、ハートによるものだと理解することです。もしも、あなたが街でその花を見つけたときに、何の解釈も判断もなしに、その花のあるがままを見るのです。

そのとき、生はあなたにその花を「知る」ことを、少しだけ許してくれることになるはずです。あなたがハートを開いて、その花を受け容れた分だけ、あなたはその花自体を「知る」ことになるのです。

花についての知識と花そのものを知ることの違いを理解することですね。