自分を置き去りにする

それなりに、自分のやり方で瞑想を続けてきていたのですが、何となく分かっていたことが現実となっちゃいました。それは、これって全然瞑想になってないじゃない!というものです。

いつもの瞑想中に、すごく奥深い(と感じる)ところに形容できない何か別の部分があることを感じてはいたのですが、それがもしかしたら自分の本質なのかも…と思う程度でした。

それが、夕べ起こったのです。そこは、自分が関与できない場所なのです。そして、それに移行することで自分という縛りから解き放たれる感覚になっちゃったのです!

そこには自分がいませんでした。だからといって、何かとてつもなく崇高なことが起きているというような感覚もなく、大きな感動がやってくるでもなく。

そのためには、あるコツがあるということが分かったのです。修行もいらないし、何の努力もいらないのですが、だからと言って今までずっとやってきた瞑想が全くの無駄だったのかどうかは、定かではないです。

これまで瞑想していて、それがどんなに深く心地いいものであったとしても、所詮は自分(エゴ)の中でのことだったのが、そこから脱出するコツを掴んだような気がするのです。

エゴがエゴから脱出するという矛盾がそこにはあるわけで、それだけに非常に繊細な何かがあるのです。本当は、脱出するのではなくて、自分を置き去りにするというニュアンスなのです。

自分は決してそこへは行かれない、ただ想いを馳せるといった、そんな感じがちょうどいいのです。自分(エゴ)がとても粗雑な粒子であるなら、そこはものすごく滑らかな静謐さがありました。

敢えて言えば、風鈴の音を感じている場のようなものと近いかもしれませんが、これ以上言葉では無理ですね。自分の思い通りにそれがやってくるように、練習するつもりです。

そして、できる限りもっと詳細に方法などをお伝えできればと思っています。