人生というのは、本当に皮肉なものだと思うのです。これ以上の悪い冗談はありませんね。なぜなら、人は誰もができる限り生き生きと満ち足りて、清々しい生を送りたいと望んでいるのです。
けれども、それを阻んでいるのは唯一それを心から望んでいる自分自身だからです。他には何一つありません。正直言って、真にそのことに気づいてからまだ10年は経っていないかもしれません。
そのことをつらつら思うと、誰もが人生の中で尤もらしく生活しながらも、ある意味悪あがきを続けているということがよ~く見えてしまうのです。
そして残念ながら、そういう私自身もまったくその悪あがきから足を洗うことができないでいる一人なのですから。その悪あがきから本当に抜けるためには、自分が死ぬ以外ないのです。
だから皮肉なストーリーだというのです。あなたが夢も見ずに熟睡した後、何とも気持ちがいいのは、その間あなたがいるという自覚が喪失していたからに違いありません。それはつまり、一時的な死の状態です。
熟睡している間、あなたが居ずに無欲だったからです。無欲とは、マインドが停止している時にしかやってきません。それがどれほど心地いいものかは、誰もが薄々気づいているのです。
けれども、目覚めた瞬間から、またすぐにマインドが立ち上がって、どうしたら幸せになれるのだろうかという欲望の中へと私たちを連れて行くことになるのです。
あなたが幸せに向かって頑張れば頑張るほど、それだけあなたの欲とマインドは成長してしまうのです。これほどの逆説的な現実は他にありません。
それじゃあどうしたらいいのか?どうしたらその悪あがきを止めることができるのか?一つ言えるのは、このどうしたら悪あがきを止めることができるのか?という思い自体が、悪あがきそのものだと気づくことです。
悪あがきを徹底的に注視することです。それをただ油断せずに見ていること、それにしっかりと気づいていること、それだけでOKだし、それ以外はすべてマインド(エゴ)の作戦に巻き込まれることになるだけです。
ただ見ているなら、見られているエゴは次第にエネルギーを弱体化させていくはずです。それは求める結果としてではなくて、成り行きとしてそうなるのです。ただ見ることに徹するのです。