失って気づくこと

私たちは何かを失うと、悲しくなったり途方に暮れたりします。それが大切なものであればあるほど、ショックが大きくて受け入れがたいのです。

幼い子供が親を失った場合などは、その小さな心ではその事実を受け容れることができないために、どこかで親が生きていると思うようになったりするのです。

その一方で、これを失ったらとてつもなく辛いだろうと思っていたものが、実際にはそうでもなかったということも多々あるのです。

私の場合ですが、10年の間、セッションルーム兼住居として使っていたとても快適なマンションから出なければならなくなったときがあったのです。

その直前までどうなることだろうかと思っていたのですが、いざ失ってみると意外にさっぱりしたというか、単に元に戻ったというだけでした。

人は不便になった程度ではどうということもないのですね。逆に、いいこともあって、今度はただ快適なだけでなく一点豪華主義というか、目的を絞って自分のスペースを手にするという視点ができたのです。

失うという体験には、とてつもなく大きな気づきのチャンスがあると思っています。勿論ダメージを受けたり、心が傷つくこともあるのですが、それでも、いやそうであればあるほど、それだけ大きな気づきがいつかやってきます。

もしもあなたが、今ちょうど何かを失ったことで気持ちが落ちているのでしたら、そこから逃げようとせずにその気持ちを充分に支持してあげることです。

それがうまく行けば、それを逆手にとって大きな大きな意義ある気づきのチャンスが到来したことにも気づくようになれるはずなのです。

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