このブログでも繰り返しお伝えしているとおり、癒しというのは自分は惨めだという思いを持っていることに気づき、そこから一歩も逃亡しなくなることなのです。
そもそも惨めさというものが実在したためしはなく、単に自分は惨めだという思いがあるだけだということに気づくことです。
過去を振り返って、どのようにして惨めさを溜め込んできたのかを詳細に見て、そしてその惨めさによって作り出されたあらゆるネガティブな感情からも逃げずに、それを味わい尽くすこと。
そうして次第にそれが虚構だということを実感できるようになっていくのです。ところがそれで終わりではありません。
実はあらゆる惨めさの根っこにあるもの、「私」という個として生きているという思い込みこそが、本当の意味での惨めさの原点なのです。
結局どれほど心の癒しを進めて行ったとしても、「私」という個人として生きている限りは、惨めさが消えて無くなることはないのです。
全体性へと戻ることができるまでは、いつまでも惨めさがつきまとってくるはずです。人生でどれほど活躍しようと、どんな成果を出そうと、愛する人と共にいようと無駄なこと。
そろそろ覚悟を決めて、「私」が観念するしかないということ。「私」が全体性の中へと溶けて消えていくしかないのですね。