人は恩を感じる生き物ですね。犬などの動物であっても、世話になった恩を覚えているという話を聞いたことがあるので、人間であれば当然のことです。
『一宿一飯の恩(義)』という言葉がありますが、一晩泊めてもらって夕食をご馳走になっただけでも、その恩を忘れるようではいけないということですかね?
そういう戒め的な使い方をするのでしょうけれど、基本的に感謝の気持ちのような自然発生的なものに対しても、訓戒をからめることに、違和感を覚えるのは私だけでしょうか?
まったく同じ親切を好きな人からされるのと、嫌いな人からされるのとでは、きっと感謝の気持ちにも違いがあるように思いますが、それが人の心というものです。
だから恩とか感謝という気持ちには、注意が必要なのです。恩というのは物理的な事柄であって、それに対して感謝を感じるかどうかということです。
少しも感謝の念を感じていないのに、恩があると認識したところで、そこにいったいどんな意味があるというのでしょう?
大切なのは恩ではなく、感謝の方であるのはいうまでもないことですね。人は時として恩を防衛の手段として利用することがあるのです。
たとえば、嫌悪感を感じている人に対して恩があると思うことで、その嫌悪感を否定もしくは抑圧してしまうのです。
命の恩人にセクハラされても文句が言えないのと同じようなものです。大嫌いな父親だけれど、育ててもらった恩があるから、面倒な話でも聞かなければいけない等々。
こうしたことが続けば、必ず自己犠牲が溜まっていつかは爆発するか、鬱々としてくることになるのです。人に対して、恩があると思っても、その過去を決して引きずらないこと。
恩は恩、それは過去のことだと割り切ること。感謝の気持ちでさえ、「ありがとう!」で終わりにすることです。未来に向けてそれを持ち歩かないことですね。