自然はいつもシンプル

人はいろいろなものに興味を抱いたり関心を持ったりしながら生きていますね。そしてそういったことも、年齢とともに変化していくものです。

例えば、男の子だと幼児の頃はミニカーに興味を持ち、少し大きくなるとゲームに夢中になるのですが、年頃になれば必ず異性に目覚めるわけです。

テレビの番組で見かけたのですが、文房具に異常に詳しい小学生がいたり、掃除機を何十台も持っている中学生がいたり。

高校生くらいになると、イデオロギーに関心を持ち、生きる上での基本的な考え方、正しさなどにハマる青年もいるはずです。

大人になると、自分なりの正しさや倫理観などが大切だと思うようになるかもしれません。多くの人は、正しさを自己防衛のツールとして使うのです。

勿論正しさは人それぞれに違うために、誰もが自分こそが正しいとして、そこに争いが起きるわけです。そして勝敗、闘って勝つことに意識が向かうようになったりします。

私自身もこれまでの人生の中で、その時々で様々な正しさの基準みたいなものを持って、それを議論の拠り所としてきた記憶があります。

けれども次第にそういったことに興味が向かなくなって、最後?に残ったものはというと、真偽や善悪ではなくて、自然か不自然かという見方でした。

好き嫌いもとても大事なのですが、それよりも更に上なのが自然かそうでないかなのです。自然なものは自由だし、不自然なものはやはり不自由なのです。

それ以外のことが削ぎ落とされると、生はシンプルになって生き易くなるのですね。自分の身の上に何が起きたかよりも、内面がどれだけシンプルかということです。

自然は複雑にはなりようがなく、いつもシンプルだからです。