生まれてこのかた、幸福感というのを感じたことは記憶の限りではほとんどないように思います。
だからといって、不幸ということでもないのですが。幸福感は思考によって生み出されるものなのでしょうね。
つまり、他人との比較、あるいは過去との比較、そういった思考を働かせることによって、自分は今は幸福だと「思う」のです。
そう思うことでしか、幸福感を味わうことはできません。それに対して、快適とか気持ちいいというのはダイレクトに感覚としてやってくるのです。
また幸福感とは正反対に、思考がなくなればなくなるほど至福がやってきてくれます。きっと意識というのは至福と同義なのでしょう。
少し穏やかなマインドには、少しの至福が訪れるのですが、より深い静寂になったマインドには、もっと大きな至福がやってきてくれます。
結局、思考という雲が消え失せればそれだけ青空が見えるように、至福は青空としての私たちの本質そのものだということです。
だから本来、至福に大きいとか小さいとかはないということ。どれだけ思考という雲が青空である至福を邪魔しないかということなのでしょうね。