体験されることはすべてみな幻なのだと覚えていればいい
体験する者のみが真実なのだ
観照者に注意を払いなさい
体験にではなく
その観照者に焦点を合わせなさい
たとえどんなに素晴らしくても
いっさいの体験はみな夢もどきにすぎない
ひとはそれらをすべて乗り越えて行かなくてはならないのだ
by osho
↑このことに気づきたくないばっかりに、私たちはいつも何かをし続けているのです。そうして、あらゆる体験の中にいようとするということです。
本当に何もしないでいると、ふいに観照者に意識が向いてしまいそうになるので、危ないとばかりに何かを考え出したり、急に立ち上がって洗濯物を取り込みに行ったりするのです。
するべきことなど何もないのだと気づくと、今度は身体を不調にさせて意識を具合の悪さへと向かわそうとするのです。
こうしたことは、誰でもやっていることで、ただそれに気づいているかどうかの違いがあるだけなのです。
私たちは体験だけで生きていると言っても過言ではありません。「こんなことが目の前で起きた」というような場合でも、その起きたことを見ていたという体験をしたのですから。
今日1日何をしていたの?と聞かれたら、あなたはきっとどんな体験をしたかということを思い出すはずです。時系列を追って連続した体験を話すでしょうね。
そのときに、ふいにどんな体験とも無関係な自己があることに気づくかもしれません。体験を目撃している観照者に。それがほんとうのあなたなのですね。
一度気づいてしまったら、忘れることはあっても、観照者が消えてなくなってしまうことはありません。ただ思い出せば、必ずまた浮き出てきてくれるはずです。