必要とされたい病

好きな人に愛を告白するときに、「僕には君が必要なんだ!」という男性がいて、そう言われて喜ぶ女性がいるわけです。

お互いに相手を必要としていれば、相思相愛のいい関係になれると思うのですが、本当のところ愛されるということを必要とされることだと勘違いしているのです。

純粋な愛とは、溢れ出てくるものをただ与えることであって、相手を必要とするのは単なる欲望です。それが悪いと言っているのではなく、思い違いしていることに気づけばいいのです。

そのことに深い理解ができるなら、必要とされることで満足している自分の怪しさにも気づくことができるはずだからです。

誰かに必要とされてると思うだけで、自分に価値があると感じることができるので、私たちは安心するのです。

はっきりさせましょう!必要とされるということは、相手にとって利用価値があるというただそれだけのことだと。存在価値とは無縁のものです。

そのことが分かった上で、どうぞ自分を利用して下さいというのであれば、それは全く問題ありません。

でもその前に、まずあなたは誰かに必要とされる(利用される)ために生まれてきたのではないということを改めて深く知ることです。

人はモノではないので、利用することも利用されることも本来あり得ないことです。誰からも必要とされる必要のない人生を生きているか、要チェックですね。

“必要とされたい病” への2件の返信

  1. コレ、長い間ずっと無自覚でやってきた事なんですよ、きっと。
    無意識のレベルで人のケアをして来てました。
    それって相手にとっての利用価値を自分で提供する行為だったんですね…

    そこまで考えずとも「面倒くさい」とバカバカしい気分になり、ケアを一切止めました。
    今までいい顔してたのに突然何なの?と怒りにも似たムードが漂ってますが、それは自分の向こう側の出来事なので淡々としてられてます。
    むしろ清々しく、ケアを止めた自分を褒めてます。

    面倒くさいから一切ケアしないとしたら今まで必要とされて来た人間関係が見事にゼロになりました。
    その代わりに長年望んでいた種類の新しい人間関係もすぐに芽生えだしたので、面白いものですね。
    無用の長物であることは気持ちいいものですね

    1. M.Aさん

      無用の長物であることを目一杯楽しんで下さい。
      それで初めて、自分らしくあるがままの自分を
      生きることができるということですからね。

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