私たちの分裂した内面のことをマインドと呼ぶのだということは、何度もこのブログでお伝えしてきたことです。
あの人と結婚したいというマインドの部分があれば、結婚したくないという部分もあるし、セッションを受けたいという部分があると同時に、セッションは嫌だという部分もあるのです。
もしもマインドが分裂しなくなってしまったら、もうそれはマインドではなくなってしまいます。というより、マインドという内面は消失するのです。
ということで、誰のマインドも同じように分裂という病みを抱えているのです。ただ、その分裂の度合いの大小によって、病みの深さが変わるのです。
激しく分裂してしまうと、非常に生きづらい人生へと進んでいくことになってしまうのです。それは、分裂した各部分が極端な特徴を持つことになると同時に、表面化するのはどちらか一方に限られてしまうからです。
たとえば、幼い時に無邪気さを抑圧して一切それを使わないようにしてしまうと、その無邪気さの部分は野生児のように保存されて、社会性が非常にに乏しいものになってしまうのです。
逆に、抑圧が比較的小さいものであるなら、無邪気さと社会性が同居することになり、バランスのとれた大人になることができるのです。
この場合は、分裂が小さいことになるわけです。したがって、癒しというのは、分裂した各部分が互いの距離を縮めていく作業だと言ってもいいのです。
そのためには、リーダーシップを取れる部分が、その他の部分を受容することが必要なのです。受け止めることができたら、距離は一気に縮まるでしょうね。