エゴは何もせずにはいられない

あなたがたは何かに従事していたい。
だからエゴを落とすことはできないでいる。
空っぽで何も従事することのない状態でいられる用意があなたがたにできないかぎり
たとえ必要とされなくっても、それでもなお生を楽しみ祝福する用意ができているようにならないかぎりエゴが落ちることはありえない。

by osho

私たちは確かに何もしないでいることができません。ただ黙って静かにしていると、そのうちにはムズムズしてきて、立ち上がって何かをしようとするのです。

それはちょうど、息を止めている状態と同じなのです。息を止めて、少しの間は大丈夫なのですが、そのうちに窒息するあの苦しさがやってくるのです。

そして息を吸わなければどうしようもないあの感覚になって、息を吸ってしまう。それが立ち上がって何かを始めることと同じなのですね。

息を吸わなければ、死んでしまうのですが、それは何もせずにいればエゴが死んでしまうのと全く同じこと。

これといって何もすることがないと、私たちは退屈しだすのですが、あれは息が充分に吸えずに息苦しくなるのに似ています。

何もしないでいれば、そこに物語を見出すことができなくなってしまうので、物語の住人であるエゴが死んでいくのです。

だから私たちのエゴは、躍起になって何かをすることを探すのです。忙しくしていると、どこか充実感があるのはこんな理由があったのです。

立ち上がって何かをし出すことを止めていると、今度は思考が忙しく働き出すのです。そして、グルグルと何かを取り留めなく考え続けるのです。

これがエゴの作戦なのですね。逆に何かと忙しくしている人は、エゴが喜んでいるということに気づくことですね。