真実は譲渡不能

真実というのは情報じゃない
それは何か、手から手へ譲渡できるものではない
たとえもし私があなたに真実を譲り渡そうとしても
あなたの手に渡ったとたん
それは虚偽になってしまうだろう
それこそまさに真実の本性なのだ
譲渡不能–
あなたがその中へと成長してゆかねばならない

by osho

物語というのは、情報として語り継ぐことができるけれど、真実はそういうものではないということです。

どんな言葉を使っても語ることのできない何か、思考によって縛られない、論理によって推理することすらできない、そういう意味では不条理なものです。

もちろん想像することもできません。なぜなら、イメージというのは思考がベースになっているからです。

だから真実についてのどんな説明も、方便になってしまうのです。それを指し示すことはできても、それを表現することはできない。

歴史上残っている、あらゆる宗教の経典は、そういう意味では全部方便なのです。般若心境でさえ、方便としか言いようがありません。

真実は分かち合うこともできないのです。なぜなら、それは私たちの奥深くに隠されたものだから。真実はまったくもって個人的なもの。

その完全に個人的なものが裏返って全体性へと繋がるのです。孤独から逃げずに、その奥へと進んで行った先に、孤独が不可能だと知ったときに、真実はあるのでしょうね。