希望と不安は自我の食いぶち

若い頃というのは、自分の将来に対して何らかの希望を持っているものですね。いろいろな可能性を想定することができるからです。

その一方で、これからどうなっていくのか分からないという面での不安も併せ持っています。

その希望と不安がどちらも比較的大きいのが若者であり、年齢を重ねるにつれて、そのどちらも少しずつ小さくなっていくものです。

私ぐらいの年齢になると、もう人生に対する希望というのはほとんどなくなってしまい、これから先どうなるものでもないという落ち着いたところに立っています。

そのため、今後の人生がどうなるのか心配でたまらないということもなくなってしまうのです。

希望も不安も自我にとっては、絶対的に必要なものだということが分かった上で言うのですが、若い頃を通過してきた身としてはそのどちらも本当は必要ないのです。

これが手に入ったらきっと満たされる、この人と結婚できたら幸せになれる、こんな能力が身についたら充実するはず等々。

希望を叶えて安心できたら、人生は最高だと若い頃は普通に信じているものですが、それは幻想に過ぎないということです。

これが治ったら、これが解決したら、お金が手に入ったら、健康になったらという未来への期待はただ自我が生き延びるための道具なのです。

今この瞬間、全く理由なしに穏やかで、落ち着いていて、自然でいられることがきっと1番大切なことなのだろうと思いますね。