自我を傍らに感じつつ

若い頃は、この社会を通して何かを成し遂げることが最も大切なことだと思うものです。そのように教わっても来たので、そう考えるのが当然なのです。

けれども、そうやって成功してもいつかは必ず失敗もやってくるのです。成功と失敗は一対のものだからです。

その繰り返しを経験すると、成し遂げる系の人生を根底から見直すチャンスがやってきてくれるのです。

そして人生において、最も大切なことは何かを成すことではなく、気づくことだという深い理解を得るようになります。

その気づきというのは、この自分とは何か?ということへの深い洞察を通してやってくるものです。

自分の本質が何かを知るとき、この宇宙の全てを知ることになるのです。それは知識ではなく、それこそが明白な気づきなのですね。

気づきはいつも自我によって妨害され続けているのですが、成し遂げることから一歩退くことで、自我はその力を緩めざるを得なくなるのです。

その結果、自我が傍らにありながらも、全く次元の異なる自己のフレーバーが訪れてくれるのです。

勿論日々の瑣末な出来事は無限に続くのですが、それでもそれを見つめる目は確実に静かに深く安定してきてくれるようになりますね。