思考がある時、物事は不明瞭

私たちの生活は、気づいているかいないかは別として、とにかく思考まみれです。思考が止まることはまずありません。

この思考の正体そのものを説明することは難しいのですが、どのような状態になると思考が活動するのかは分かります。

それは、物事が不明確なとき、不明瞭で本当は分からないときに、思考がそれをああでもないこうでもないと考える余地があるということ。

ということは、私たちが明確に分かっているという場合でも、明確に分かっていると思考で理解しているに過ぎないということです。

たとえば、丸いものを見て、これは丸いものだというのは明らかだと「思う」のです。丸いものだと判断を下すのですが、その判断自体が思考からくるのです。

以前自分がいなくなる体験をしたとき、時間はないということが明らかだったのですが、あれは「時間がない」という言葉とは違うものでした。

明らか過ぎて思考は活動できないのです。というよりも、思考が落ちてしまっていたために、真実の中に入ってしまったということかもしれません。

真実の体験は、思考による言葉では決して表現することができないので、残念ながら実際に体験するしかありません。

この世界を思考によって生きている時、何もかもが不明瞭だということを忘れないようにしたいものですね。