この生はまさに旅だ。この生は橋にすぎない。それを通り過ぎるがいい。そのなかに巻き込まれすぎないことだ。超然として、離れたままでいるがいい。が、その超然さと分離は強いられたものであってはならない。それは、あなたの理解から生まれるものでなければならない。
by osho
この生を橋だと見抜ける人はほとんどいないでしょう。橋というのは、向こう側に渡るためにある特別な道のこと。
この生という橋は、誰にでも平等に与えられていて、誰もがそれを渡ることができるようになっています。
けれども、この生を橋などとは思っていないわけで、この生の中で何かを成し遂げることが生まれてきた目的だと信じているのです。
だからこの生を生きること自体には目的はないのだと言われても、にわかには合点がいかないのは当然のことです。
いい人生にしたいと思えば、橋の上に陣取ってそこに立派な家を建てたくなるわけで、巻き込まれてしまうのは仕方のないこと。
橋に巻き込まれ過ぎずに渡った先には何が待っているのか?それはすでに渡り終えた先輩の言葉を真摯に聞くしかありません。
↑上の文章は、そうした先輩の一人である osho の言葉です。無事渡り終えた覚者の言葉から何を読み取るのか、頭を空っぽにして入ってくるものを感じる必要がありますね。