自分の単純な存在を楽しむ

瞑想が成就されないかぎり、愛は惨めなままでありつづける。ひとたびあなたが独りで生きるすべを学んだら、ひとたびあなたが、いっさい何の理由もなく、自分の単純な存在を楽しむすべを学んだら、そのときには、二人が共に在るという、もっと複雑な問題を解く可能性がある。

by osho

私たちが日頃よく知っている愛というのは、誰かと一緒にいたいとか、誰かのことを思うと心がキュンとするといった類のものです。

そのような愛というのは、エゴの愛であって、与えるのではなく貰おうとする特徴を持っています。

一緒にいて欲しいとか、◯◯してちょうだい、つまり自分の外側にいる誰かによって足りないものを補ってもらおうとしているのです。

その愛はいずれは虚しい結末を迎えることになります。瞑想というのは、外側のもので満たそうとする代わりに、ただ今ある自分のままで満ちていることに気付くこと。

つまりは、自分の単純な存在を楽しむことができるなら、エゴの愛は次第に本物の愛へと変化して行くということです。

簡単に言ってしまえば、独りでいてそれを楽しめるようになれば、二人が共にいる時の状況が変わるということです。

互いに相手を必要とするのではなく、生を分かち合うというようになるのです。そうなったら、独りでいるよりもさらに互いの愛が溢れてくるようになるのでしょうね。