正しさよりも自然でいること

先日、大阪で府知事と市長のダブル選挙があって、少しばかりその結果がどう出るのか気になっていたのです。

結果は維新が勝って、結論から言えば大阪の人々の多くがこれまで通りのやり方で今後もやって欲しいと望んだことになったわけです。

選挙に負けた側が、どんなコメントをするのかと思って聞いていたら、本当に驚くような言葉が聞こえてきてびっくりしました。

選挙に負けた理由は、真意が十分に伝わらなかったからだというのです。いやいや待って下さい、そういうところにこそ人々がそっぽを向く原因があったのではないのでしょうか?

その候補者の方を悪く言うつもりはないのですが、ただあまりにも自分を正当化することに躍起になっている姿が見て取れたのです。

政治家なら、もう少し潔く負けを認める方が好感が持てるというものです。世の中には、自分を正当化することで安心しようとする人がたくさんいます。

正しさという鎧を着込んで、誰からも否定されずにいられると信じているのです。そういう自己防衛のやり方は、子供っぽい幼稚なものです。

きっと幼い頃から、僕は悪くないもん、というのをやってきたのでしょう。防衛はやってることに気づかなければ、一生やり続けてしまうのです。

正しさにしがみつけば、本人は正しさと一緒にズブズブと海の底まで沈んでいってしまうのです。

そうなる前に、正しさから手を離して身軽になることです。ただそのままの自分でいられれば、正しさよりも自然であることがどれほど爽快かを実感できるでしょうね。