私たちが通常認識している社会が表社会であるなら、その反対の裏社会というものがあるという話しを聞くことがありますね。
常識ではとても考えられないような不思議な出来事だったり、場合によってはオカルト的な様相を呈する事柄だってあるのです。
そういうものをありえない作り話しだとして否定してしまうのは簡単ですが、私自身は何を聴いても否定することはありません。
さりとてそれを信じ込むということでもないのですが、否定も肯定もない宙ぶらりんな状態にしておいて、興味があればできるだけ自分で調べるのです。
ただし、どれほど興味深い事が見えてきたとしても、あくまでも思考が作り上げた物語に過ぎないということを忘れることはありません。
たとえば、もしも私のところにUFOに乗った宇宙人がやってきて、高度に進化した文明や科学のことを教えてもらったとしたら、それはびっくりするはずです。
けれども、最終的にその宇宙人に聞きたいことはたった一つなのです。あなたに自我はありますか?ということ。
個体として生きているという答えが返ってきたなら、自分と根っこのところで違いはないということがはっきりするのです。
その宇宙人も思考がこしらえた物語の中の住人をやっているのだということが見えてしまい、あとは物語の中で興味を持つだけとなるのでしょうね。