正しさは防衛のツール

子供に正しさを教える親というのは、どこか権威的ですね。ルールは教えられるべきものですし、社会の中で生きていく上ではルールというのはある程度必要なものです。

それに対して、正しさというのは安易に人に教えられるものではないのです。なぜなら、正しさは画一的なものではないからです。

ルールというのは人工的なものなので、それを分かち合うのは容易ですが、正しさというのは人の数だけあります。

国によっても違うし、性別や年齢によっても正しさは変化します。ところが正しさを絶対的なものだと勘違いしている人が沢山います。

そういう人の多くは正しさを防衛として利用するのです。その結果周りに正しくない人を必要とするようになるのです。

幼い子供を自分の正しさで叱りつける親もそうですし、子供帰りしてしまった老人を正しさで裁いて怒る人も同類です。

ほんの少しでも瞑想状態になれば、正しさは思考とともに消えていくことに気づけるはずです。

もしもあなたが正しさは大切なものだと思っているなら、防衛のツールとして使っていると思って間違いありません。

正しいかどうかよりも、好みかどうかを優先している人生の方が、圧倒的にシンプルなものになるはずですね。