内面の静寂の存在に気づく

自分の内面、心が比較的ゆったりと静かな時もある一方で、反対にざわざわ騒がしい時もあります。

それ以外にも様々な状況を呈する自分の内面、そのどれもが自分の心で起こっていることだという認識がありますね。

では心自体というのはどんなものでしょうか?私のイメージでは、あらゆることが起きる容器のようなものだと。

つまり本当の自分の内面というのは、あらゆる精神的現象が起きる容器、場であるということ。

だから何も起きなければ、そこにはただ静寂だけが残るのです。その静寂、容器こそが私たちの本質なのだろうなと。

それなのに、いつもいつも何かを考えてばかりだったり、激しい感情の嵐に飲み込まれてしまえば、静寂は隠されてしまうのです。

それが忙しく生活している私たちの現実なのではないでしょうか?それでは、正気でいられるはずがありません。

一日数分でもいいので、心静かに座すことです。初めのうちは、どんな効果も感じられないかもしれません。

けれども、そのうち少しずつですが、内面の静寂という私たちの本質のフレーバーを感じられるようになるはずです。

どんな人の内面にも、共通する静寂が隠されています。少なくともそれを知るまでは、人生でどんな偉業を成し遂げたとしてもまだ中途半端だと理解することですね。

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