元々は自由しかない

私たちは誰もが自由を求めて生きています。自由というのは、何の束縛もない状態を言うのですが、それが難しいのです。

本来は、この世界には自由しかないはずなのですが、それがそうは思えないのはどうしてなのか?

それはあなたという自我がいるからなのです。自我こそがあなたの自由を奪っている張本人なのです。

それは自我の生き方が原因なのですが、自我がそれを変えることはほとんどあり得ないと思って間違いないでしょう。

例えば、何にも従事していない状態であっても構わないと思えるか?あるいは誰にも必要とされなくても構わないと感じられるのか?

この世界はあなたの自我なしでうまくやっていけるということ。自我などなくても続いていくということ。

そうしたことをしっかり認めることができるなら、自我は衰退していくことになり、元々あった自由を見出すことになるのでしょうね。

“元々は自由しかない” への4件の返信

  1. 夢中になっていた趣味のため急いで向かっている途中、新宿の人混みの交差点で待っていた時、その多さに、突然興ざめしたことを思い出しました。
    ただ好きなだけと思っていた中にも、意味づけや、特別感を求めていたのが見えたのかもしれません。
    その後、自我は特別になりたいものだと、セッションで教えていただいてから、本当にそうだよな、と、何回もそういう自分を見ています。
    好き嫌いも、実はいろいろ自我の思惑が入っているようで、好きなことは、そのうち苦しくなってきたりして…。
    たのしいかつまんないか、のほうが自分にはほんとのところに近いかな、と思います。
    誰にも必要とされないって、ほんとはすっごくいいことなんじゃないですか?昼間の空いている各駅停車にのんびり座って〜あ~~しあわせ〜ってつぶやいている至福の感じがします。

  2. 誰にも必要とされないって、誰にも期待されないということでもあって、それはすご〜く気楽という面がありますね。ただ自我は、特別でありたいので、注目もして欲しいと願っているので、元々矛盾するものを持っているということでしょうね。

  3. 自我側の自分が強く出そうになるのを、できるだけ監視していられるようになるといいですね。この練習は意識的であることを続ける必要があると思います。

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