以下のoshoの言葉には、耳が痛い。
『瞑想は二十四時間のものだ
それは一日一回やってそれでおしまい、というものではない
それはあなたの味わいにならなければならない
それはあなたの風土にならなければならない
それはあなたを包むものでなければならない
あなたがどこにいようと
あなたが何をしていようと–』
そうなんですよね。瞑想中がどれほど気持ちがいいとしても、瞑想から抜けてしまえばそれで終わり、では元も子もない。
瞑想の目的は、瞑想中の内面のあり様が日常的になることであり、そこにこそ本当の意味があるわけです。
最終的な理想の姿とは、瞑想をする必要がないくらいに瞑想的に生きることができるようになること。
これは達人の域なので次元が違うとしても、少しずつでも瞑想中とそうでない時との差を減らしていくことなんですね。
今の自分が感じている状態では、身体を動かしてしまったと同時に、瞑想が途切れてしまうという感覚です。
目を開けたり、身体の姿勢を変えた程度では瞑想状態が続くのですが、立ち上がったり歩いたりなどは全く無理なわけで。
クルマの中でも停車中であれば可能ですが、運転中は全く無理なのです。そうなると、何かまた全く違うレベルというものがあるのかもしれません。
今のところ、私の感覚としては瞑想は筋トレとすごく近いなと。少しずつ地道なトレーニングを続けて、それなりの効果が出て嬉しい。
このレベルでは、瞑想を自分の風土にすることは難しいでしょうね。
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