以下のoshoの言葉から、「無知の知」という言葉を思い出しますね。
『ほんとうに真実を知りたいと思う人に求められる第一の誠実さは、”自分自身で知っているもの”と”ただ受け売りで知っているもの”をはっきり見分けることだ。そして借りものは何であれ投げ捨てるのだ!それはすべてがらくただ。他の誰かの体験に知識の上でよく通じるよりも自ら無知であるほうがよい。』
自分自身で知っているものと、ただ受け売りで知っているものとを見分けるにはどうすればいいのでしょう?
かつてガガーリンが宇宙へ行って「地球は青かった」と言ったことは知っていますが、我々は地球が本当に青く見えることは知りません。
あるいは、この絆創膏は優れものだよと言われたら、ああそうなんだと思って、受け売りの知識を得たことにはなります。
けれども、自分で何度もその絆創膏を実際に使ってみて、確かに優れものだなと納得するなら、それは自分自身で知ったことになるのでしょうね。
こうして見てみると、外部からやってきた情報として知っているということと、自分の体験として知っているということの違いなのかなと。
だとすると、学者さんには失礼なことになってしまいますが、どれほどたくさんの文献を読んだとしても、その知識は受け売りの類になってしまいそうです。
とはいえ、この世界で役に立つことは大いにあるのでしょうね。そしてもう一つ、自分は何も知らないという状態にもなれるのです。
それは、記憶へのアクセスをやめてしまうことで体験することができます。それを面白がる心の余裕があるといいですね。
何も知らないということに気づくのは、とても興味深いことですし、清々しい気持ちにもなりますね。
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