感動が薄くなっているかもしれない

最近ニュースをほとんど観なくなっているので、桜の開花情報のことも知らずにいたのですが、なんだか急に開花しましたね。

今日はほとんど満開の状態でした。毎年楽しみにしているものなので、今年も満開の時期を逃さないようにしようと思っていたのです。

そして運よく、長い時間にわたってソメイヨシノを見続けることができたのですが、どうも少し変な感じなのです。

それは、頭では綺麗だなと分かっているのですが、例年のような感動のようなものがなぜか薄い感じがしたのです。

あれ、こんなはずじゃないのにと思って、しばらくの間、意識的に感動している体でそれを言葉に出していたのです。

すると、少し経ってからやっとそれなりの感動がやってきてくれたのです。それでも、どうも様子がおかしいのです。

これまでの感動は、もしかすると思考の解釈が入り込んでいて、年に一度の希少な体験なんだからと囁いていたのかもしれないなと。

最近自分の反応がやや平坦になってきているのを感じていたので、それをやはりなと実感したのです。

本当の理由は分からないのですが、ただ現れが起きているというシンプルさに気づいたからなのか、今後も様子を見守ろうと思います。

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こちらの動画もぜひご視聴ください。

“感動が薄くなっているかもしれない” への2件の返信

  1. 心って、心だけのものってどんなだろうと思いました。普段心とよんでいるものの中に思考が占める割合は結構なものなのでしょうね…。そんなことを思い巡らせると一昨日の嫌な出来事からふと離れることができました。なんかよかった。ありがとうございます。

    1. 静かに見つめてみると、偽物はその存在が希薄に感じられてくるはずなんです。
      心というのは、まとまった何か一つのものだと感じてしまいますが、そうではないのでしょうね。
      精神活動というプロセスです。自我が活動していない時には、心を見つけることはできないのですから。
      いずれにしても、嫌なことを抑圧するのではなく、自然に離れていくことができたのは良かったです!

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