人間の肉体とマインドというのは、非常に互いに強く結びついて影響しあっているのです。だから、マインドを静かにしただけで、身体も休まるのです。
逆に身体を静かにさせれば、マインドも静止状態になるということです。この性質を利用することで、容易にマインドを静かにさせることができます。
つまり、身体をじっとして全く動かないようにすることで、それにつられてマインドがその活動を控えてくれるのです。だから、一般的な瞑想をするときには基本的に身体を静止させるようにするのです。
そうやってマインドが静止するにつれて、自分の周りに満ち満ちている『生』と同調していくような感覚になれるのです。最初はそのことを理解できないでいました。
時間は刻々と進んで行くのに、自分が静止していてはそこにずれが生ずるはずだと思っていたからです。けれども、それは間違いでした。
時間の進み方というのは、実は物語の流れのことであり、それとは同調しなくて当然だったのです。物語の中の登場人物として忙しく活動すれば、勿論その物語と同調します。
けれども、一方では『生』そのものが時間とは無関係に瞬間瞬間発生しては消滅するということを繰り返しているのです。マインドが静止状態になればなるほど、その『生』のリズムと同調することができるということなのです。
マインドが少しでも動けば、その動いた分だけ『生』との同調がはずれてしまうのです。それが私たちの通常の生き方だと思って間違いありません。
瞑想によって、一度でも『生』と同調できた感覚を体験することができれば、二度とそれを忘れることはできなくなるはずです。
日頃から無理せずにくつろいでいること、そしてまるで身体が死んだかのように静止させて、マインドを見張り続けるのです。呼吸や瞬きも本当は止められるといいのですが…。
うまく行けば、その同調した感覚がやってくるはずです。それが全体性と一つになった感覚とも言えるのでしょうね。